古川高志 死刑囚[矢野村強盗殺人事件]
【経緯】
1947年5月23日、兵庫県赤穂郡矢野村の農家に古川兄弟が強盗目的で古い
斧を持って侵入しました。兄が歩いたら床がきしんで音がした為、就寝
中だった農家夫婦の妻が起きてきて叫び声を上げました。兄は咄嗟に斧
で殴り殺しました。騒ぎで起きてきた当家の主人も同様に斧で殴殺。
兄は、弟(古川高志)に「斧を捨てて来い。」と言って斧を渡し、弟は
同家便所に斧を捨てて、再び部屋に戻ります。そして、兄弟は衣類57点
を奪って逃走しました。
やがて、聞き込みから古川兄弟が捜査線上に浮上し逮捕されます。
【身代わり】
古川兄弟は、相生警察の取り調べに対して犯行を素直に認めましたが、
「主犯は弟で、兄は高志の指示に従っただけ」という供述を基に検察側
が起訴をしたことが後々まで問題となります。
一審神戸地裁姫路支部は、弟に死刑、兄に無期懲役の判決を言い渡しま
した。従犯として無期懲役を受けた兄はそのまま服役します。
【真実】
その後、古川高志の姉が大阪拘置所の教戒師を訪ねてきます。そして、
「弟の高志は、以前に窃盗で前科があり、しかも体も弱く妻帯者である
兄を庇って、自分が罪を背負う気になったのではないかと思います。」
と告白しました。
これに驚いた教戒師は早速、高志に面会して事の真相を問いただしまし
た。すると、高志は逮捕された相生警察署の向かい合わせの留置場で、
怯える兄に「俺が罪を全て負うから大丈夫だよ」と約束したことを白状
しました。
控訴審では、証人として兄が呼び出されました。裁判官に真実を問い詰
められた兄は、弟の視線を避ける様に顔を背けて「やったのは弟です。」
と小さい声で証言しました。これにより、1948年7月、大阪高裁は、弟
古川高志の控訴を棄却。
1951年2月2日最高裁は上告棄却で古川高志の死刑が確定し、1953年3月20
日大阪拘置所で死刑が執行されました。
兄は、服役中、神戸刑務所で同房者に、「殺したのは俺だ。俺はなんと
卑怯な兄だろう。」と何度も何度も嘆き続け、後に「自分が主犯である」
と認める手紙を残しました。
2008/02/25 PU 追加
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